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tekoireフィクション行状記

小説、映画、アニメ漫画などの消費記録を投稿しています。

馳星周『漂流街』感想

何ヶ月かに一度くらいの頻度で、ヤバいやつから金を借りて返済期限を破りながらその手下に追われつつ3日も寝ずに着替えもせずに新宿の雑踏をかき分けながら逃げまわりたいような衝動に駆られます。『ケツに火をつける』という言葉がありますが、まさにそれを実践したくなるんですよ。それは例えばフィリップ・マーロウ的な"孤高"の存在なんてたいそれたものではなく、より姑息で矮小な欲望に基づいたその場しのぎの行動でしかなく、しかし現実の我々の生活の中においては"孤高"よりもより生々しさを感じ続けている、感じざるを得ないものなのだと思います。

ということで馳星周の5作目の『漂流街』です。不夜城のシリーズくらいしか読んでないので、そちらのシリーズとの比較になりますが、いやー今作は疾走感がそのシリーズを遥かに凌駕してますね。たった一人でどれだけの導火線に火をつけることが出来るのか、各方面の人間を怒らせて遁走することが出来るのかという点に関しては今作の主人公のマーリオは不夜城の面々に向こうを回さないのではないでしょうか。

体言止めで可能なかぎり詳細な描写を省いたスピード感あふれる簡潔な文章の中で、過去のイメージのフラッシュバックを現在の行動に合わせて浮き上がらせるようなやり方が巧いんですよね。主人公の持つ日系ブラジル人というバックグラウンドと"太一の血"という呪いがその文体で綴られた行為を介してどんどん浮き彫りになっていって、それに苦しみ続けているマーリオが、だけれども自分自身の愚かさも止めることが出来ずにずぶずぶと深みに嵌り、取り返しの付かないことに陥っていく様子を見続けるのは、ただその行為が書かれているだけで娯楽としては最高のものだと思います。馳星周の作風は割と似たものが(今作は既に20年前の作品ですが)多いのではないかと思いますが、不夜城シリーズのみを読了済みの自分としては今作はとにかく無能ではないにも関わらず問題を抱えたマーリオと日系ブラジル人(あるいは作中の中国人やペルー人も日本人に対して同じ運命を有している)という、不夜城シリーズから連綿と続いてきた在留外国人をテーマを引き継ぎつつ、心の底に焦げ付くような憎悪と欲求が綯い交ぜになったアンビバレントな感情が次々と矛盾した行動の中で表面化していく過程が、より一層スピード感を持って書かれていたのではないかと思います。またマーリオが引き起こす問題の数は今作はぶっちぎりじゃないでしょうか。作中で何度も友人知人に”疫病神”と罵られるわけですが、本当に死神かよというくらいにあちらこちらで問題を起こしつつ人を殺しまくります。ていうか主人公補正がかかりすぎていて、終盤の大崎のビルの殴りこみらへんはもはやジェット・リーとかジャッキー・チェンとかそういうアクション俳優が演じる殺陣のような絵になってるんですよ。いきなりナイフ投げが特技とか言い出して「半径5mなら目をつぶってでもはずさない」ってお前ウッソ・エヴィンくんかよ!と思ってしまいましたね。その後の中国人コミュニティへの殴りこみといい、不夜城の主人公の面々とくらべてもバーサーカー補正による暴れっぷりはアクション小説の影が濃くなったなぁと思わないでもありませんでした。最後って相手の親玉とか残るじゃないですか。主人公はどれだけあがいても逃げまわることしか出来ずに大物の悪いやつは依然として生き残るじゃないですか。今作は全員ちゃんと殺してるんですよ。個人的にはもっと弱いほうが好きですね。

テーマとしては今作においてヒロインと呼ぶべきはカーラとケイなのですが、彼女たちが何故ヒロイン足りうるのか?何故マーリオがその二人だけに執拗に固執するのかという点がある意味でミステリ的な構造になっている気がします。ノワール的な世界観の中で唯一の聖域としてカーラが書かれていること、あるいはケイが馳作品に於ける正当なノワールとしてのヒロイン像であること、この二つのアンビバレントなキャラクタとマーリオが抱える”ブラジル”と”日本”に対する歪んだ精神構造の重なりを過程でどれだけ読み解いて行くのかということが、マーリオの行動様式とテーマ全体の理解に至る筋道なのだと思います。そしてその狂乱の先にマーリオの叙情が残るのはまさに馳星周です。