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tekoireフィクション行状記

小説、映画、アニメ漫画などの消費記録を投稿しています。

ニトロプラス『装甲悪鬼村正』感想

PC内のメモを整理していたら、古い文章を発見しました。相変わらずてにをはのレベルで何いってんだかわからないわけですが、ちょっとしばらく忙しく、フィクション消費している時間が無いのでお茶を濁すためにも載せます。個人メモをそのまま載っけてるので人に見せるような体裁が整ってないのは堪忍。 あとネタバレがあるのでそこら辺はご留意を。

良かった

初志貫徹したテーマ

まさにこの作品を表す全てと言ってもいいくらいだが、『善悪』にまつわるテーマを起点としてキャラクターの行動指針が決まり物語が展開していくのは、この長さを考えれば素晴らしいとしか言いようが無い。まるで短編で顕さられるような拮抗かつ生き死に関わるフィクションでは避けては通ることが出来ないテーマを大河ものとして大きく展開し、かつそれを畳みきった傑作。

バトル展開

長らくラノベ的なバトルにはついていけないと考えていたが、本作は武士の『居合』をミステリのような論理で、読者にも分かりやすく、かつ『驚き』というフィクションの要を外さないで開陳してゆくので、自分のようなものにも楽しむことが出来た。いわゆるジョジョ以降に備わったとされるゲーム性のバトル展開ですな。物語の大詰めである魔王編の終盤、銀星号との宇宙決戦においてもまずは図解を見せてくるくらいなのでその凝りようは尋常なものではなさそうである。wikiには作者が剣豪バトル?を書きたいという願望を実現したのが本作だと書いているが、それもよく頷けた。

大河フィクションとして

大河ドラマ」とよくいうが果たして大河とはどのような意味なのか寡聞にして知らなかったので、ググってみるとどうやら『長い年月をかけて、個人を超えた集団を描写する』という定義が近いのではないかと理解。長い年月をかけてかどうかは分からないけれど、湊景明という主人公を語り部として起点にはしているが、その他のキャラもヒロインを始めとして果ては悪役である六波羅の四公方やGHQ、主人公と対を成す理念をもつ雪車町に至るまで、外面に留まらない描写が全編を通してある。また我欲を求め、圧政を用いて大和という国を治める六波羅、平和を求めて朝廷、国連から派遣されているGHQ(そして魔王編ではその頂点に存在し露の南下方策を防ぎたい英、大和を手中に収めることにより国連に反旗を翻し、占領下にある母国を取り戻そうとする米が存在する)を三つ巴にした国盗り物語である。それを『善悪』というテーマを糊として組み合わせるのは、この尺であっても読者に飽きさせないような作りになっており、大河と呼べるものだったと思う。長さに関しては色々意見はあると思うし、重複している概念は多いとは思うが、そのおかげでテーマをこれでもかというくらいに重厚なものしている。

テーマと(キャラクタ)設定と展開

常々、フィクションにおいてはテーマと設定や展開という軸がどのように交差するのかが重要であると考えてきた。それを考えると本作の(一条)「殺人を用いて悪に報いた正義もまた悪なのではないか」(大鳥)「悪への報復は正義として成立するのか」という『善悪』を起点とした、ルートごとに設定されたサブテーマとでも言えるものが、各ルートの各キャラクタ、そして展開に綿密に結びついたものだと思う。この点はキャラクタを基盤とするエロゲーという媒体は強い。キャラクタを選ぶという行為が=でテーマを語るということに転化出来るからだ。

歴史考証

これは僕が疎すぎるだけなのだろうけれど、史実とその史実から創作された設定が面白い。ツルギもそうだし、六波羅政権や国際情勢や人物設定などなど。

良くなかった

システム

超速スキップよくわからない。とても遅いし、未読に差し掛かりスキップが開けても、スキップ中のスクリプトの履歴を追うことが出来ない。後に別ルートをプレイするために、分岐点をセーブしているわけだが、やり直したときには既に文脈を忘れていることが多く不便した。 意味のないシミュレーション?というか分岐。大鳥ルートの飛行船や魔王編で村正の銀星号の卵を退けるために、過去で自分の心を拾う?ようなことをしてるやつ。とくに後者はほとんど総当りに近いし、新情報があるわけでもないし必要だったのだろうか。 魔王編での対銀星号の立体数独パズル。あの場面で数字使ったパズルがしたいやついんの? ノベルゲーには付き物なのか本作に限られた話なのかは定かではないけれど、ルート分岐やスキップという読み物としての機能が随分と煩雑であったり不便なように感じた。

江ノ島

好感度パラメータによって一条、大鳥の二人の個別とそれぞれがいる3パターンが存在するのだが、微妙にパターンが違うだけでだいたいすることは同じでありそれがとても冗長

冗長さ

とにもかくにも長い。大河なので長くても良いかもしれないが、魔王編の銀星号では4次元に飛ばされ時間軸を彷徨い、宇宙へ出向きしかしそこでも居合いを行うと言った具合に妙な嗜好が冗長に続いている印象を受けた。宇宙に行く必要、あったのかな。エロゲの長所であり、やはり悪所なのが他の媒体と異なり尺の制限がおそらくは甘いことだと思う。一つの戦闘とってもとにかく長いのだ。それもゲーム性のある論理バトルならともかく終わったか!?と思わせといて必殺技が残っているという展開があまりに多すぎるように思えた。

ストーリー

テーマは「善悪相殺」が象徴するように善いとされる行いと悪いとされる行いは同じことに過ぎないということが基盤にある。 主人公の湊景明は妹の湊光を止めるためという大義のために二世村正を装甲して、悪を退治する。村正は「善悪相殺」の法により悪を一人切れば、同じ数の愛する人間、善なる人間を着ることを要求するのだ。 そしてその合間で景明は苦しむことになる。この作品が鬱作品として認識される所以であるが、悪人を殺すことにより愛する人、ヒロインや決して罪を抱えているわけではない人を殺さざるをえないことになる。 なぜ村正はそのような法を主に強いるのか。なぜ景明はそのようなまさに悪鬼の所業を行わねばならないのか。

まずは『正義』という言葉の相対性がある。正義を執行するために悪を切るとき、その悪が絶対的な悪とは決して言えないのだ。悪人の『悪』はその人間の一面性かもしれない(一条を憎んだ古河公方の側近の男の子)。 あるいは完全な生まれながらの悪人だとして、それを殺人を持って行うことは本当に正しいことなのだろうかという疑念、というより正しくないという哲学が作品全体を通して存在する。 つまりこのゲームの目的は一つのジレンマを表現することにあるといえる。それはつまり正義を成すには悪にならざるをえないという『武力』に対する徹底した洞察だ。

景明は常に苦しんでいる。それは決して村正が問題ではない。村正という機能は特別なものでは決してなくて、この世の不条理を体現したものとして存在するのだ。善人を切らざるをえないことは、正義を執行することが悪の所業でしかないことを見ぬいた村正家が、世界に、強いて言えばプレイヤーに提示するこの世のジレンマだ。村正が問題ではなく、世界に、人間であるプレイヤーにまつわるジレンマなのだ。 そしてまたそのジレンマは争いの種になる。殺された人間の縁者は、どのような理由、正義があろうと殺した人間を憎み仇討を行おうとする。それは終わることがない争いにしか発展する余地が無い。

一条ルートは正義の話である。綾祢一条は正義を信じている。正義が純然に正義として存在して、悪を打倒し、平和をもたらすものとして信じている。そして正義を執行すると同時に善人を滅ぼす景明を憎むことが宿命となる。 景明は善人を殺さざるをえない自分を呪い続ける。しかしそれは雪車町が指摘するように実は欺瞞でしかないのだ。なぜならその呪いが、善人を殺したくはないという感情はいわゆるエクスキューズでしかないのだ。それは『死』という概念が、ハイエンドの負債として常に人間の背後をひた歩いているという前提がある。殺されるものは、殺すものが抱える理念や正義を信じて自らを殺されることを良しとするだろうか。 また悪であったとして、その人間がいつも悪であるわけではない。これはプレイヤーにプレイヤーの、湊景明というキャラクタの立場から大きく離れて、他者の立場と入れ替えて思考することを要求する。蝦夷の子供らや、雄飛や操は決して景明を許すことはしないだろう。しかしプレイヤーの視点から言えば景明の殺人は村正の呪いによってもたらされた仕方のないこととして映る。 そしてもちろんこれは欺瞞だ。死という負債を帳消しするためのエクスキューズなど存在するはずがない。大義や正義があるからといって自分が殺されても文句を言わない人間はいない。 これは綾祢一条のビルドゥングスでもあった。一条は始め、正義というものが絶対的に純然に正義としてのみ成立することを疑わずに信じきっている。だから景明が善人を殺していることを理解することは出来ない。それは悪の所業である。 しかし古河公方を倒す、いや殺したことで一つの事実が目の前に立ちはだかり苦しむことになる。古河公方という存在は多面的なものであり、決していつも悪というわけではないのだ。岡部に対して悪として振る舞ったが、従者の男の子に対して命を助け善人としての側面を持っている人間であった。古河公方を殺したことで、そして従者から憎まれたことで、一条は初めて正義という概念が悪を成してでしか成立し得ないというジレンマを自覚する。一条ルートが英雄編である所以がここにある。これは綾祢一条にとっての英雄が否定されるルートなのだ。善を行うことが悪を持ってでしか成立しえないというジレンマを徹底的にプレイヤーに突きつけるルートだ。 克服はない。キャラクターはどこまでいっても救われることはないし、肯定することも出来ない。だから景明は悪鬼という道を選ぶのだ。争いを無くすためには悪鬼として振る舞い、武力を持ってして平定するしかない。 ラストで景明を殺した一条が今度は村正を纏い悪鬼として振る舞うのはつまり絶対的な英雄が死んだことを意味する。

善を行うことが、悪をもってでしか成立しえないというジレンマをすべての人間が抱えている。 湊景明はそれに苦しみ、そして争いを無くすためには悪を切り、同じ分だけの善人を切ることを肯定的に決める。

ごちゃごちゃと書いたが、善悪という古今東西、避けては通ることの出来ないテーマをこれでもかというほどに煮詰めた大作だったと思う。設定よし、展開よし、テーマよしの傑作だった。